2021年

今日は2021年7月16日、東京2020オリンピックまであと一週間らしい。

私がいつも喚いていることやテーマにしていることといえば、矮小で個人的な問題ばかりだが、ここ最近の社会の混沌の極まり具合は、それに対してもの申そうとしない、問題を是正すべきとも言わない、気力に乏しい私でも、ぼんやり「大変なことになってきたね」なんて言ってしまう。

社会問題より私の超個人的な問題の方が遥かに重大だよ、そりゃ人間自分のことしか分からないんだから、と思ってきたが、マスクを毎日つけなければ外出できなかったり、飲食店が20時で閉まる光景を見ていると、ぼんやりとしてた社会なるものがとうとう自分のとこにもやってきたなと、素朴な感想を抱いてしまう。随分ボケっとした生き方なような気もするが。訳の分からない世の中では、自分のしてることの訳が分かっていなくても、生きてはいけてしまう。私は幸運か白痴か、今まで生きていけてしまった。

コロナ禍で、「こんな生活になるなって思ってもなかった」なんて聞こえてくるけど、こんな変化を予想していないことは当たり前で、むしろ、世の中の先行きが読めないこと自体が自明なんじゃないかという思いを強くしている。じゃあどうすればいいかというと、腹を決めて社会に投げかけていくか、流れと全く関係ない個人的な作業に集中するしかないと思うが、私はこの文章を打ち込んでいる時点ではどちらに対しても情熱が乏しい。結局個人的な話に帰着してしまったが、とうとうカオス極まってきた世界に、自分でもなにか言いたくなったのです。

何をやっても疲れる

僕が20秒足らずのカットアップソング(僕らは自分らの曲をそう呼んでいた。パンクのレコードからサンプリングしたギターリフを適当にソフトで切り貼りして作ったようなジャンク・ロック)ばかりやる、粗末なバンドをやっていたときに、彼女は客として現れた。
友人の友人の友人だかの絵描き。地下の芸術家の界隈では一目置かれた存在だった。グリッチエフェクトを人力で加速させたようなめちゃくちゃな油絵を描いた。

僕らは意気投合した。随分彼女もアート・シーンと、それ以上に自分の製作行為にうんざりしていた。その頃もう僕はギターを弾くのを辞めたかった。粗暴でNO NEW YORKの連中よりヘタクソなギターに自分を担保されていると思うのは苦しかった。周囲の真面目なミュージシャンは、僕のプレイスタイルにある程度興味を惹かれたようだけど、面白がられる以上の意味を持たなかった。そもそも彼らからの尊敬など別にいらなかった。

彼女はハイコンテクストに作品を評価されていた割には、作品の評価の高さと個人として上手く生きれないことのギャップに悩むような素朴な人間だった。画家として名が売れていた彼女は、それ故随分自分が消費されているという感覚を強く持っていたし、実際のところ消費されていたのだろう。彼女の半ばヤケにも見える衝動的な作品は僕にとって過分に魅力的だったが、彼女自身は普通に生きられないが故の、承認を得る代替手段にしか捉えてなかった。

そういった僕ら個人の文脈が交点を持ち、僕は彼女と交際を始め、ギターを辞めた。彼女も絵を描くのを辞めた。僕らは何もかもに疲れた疲れた疲れたと言いまくった。アート・シーンのワナビー達の悪口を言って毎日が過ぎた。それは僕らにとって、爛れた生活でも、甘ったるい日々もなく、セラピーみたいなものだった。もう僕らは疲れ切っていた。生活と労働以上のことはできなかったし、そこから芸術家としてなにか生み出すことを尊いと思うのを一刻も早く辞めたかった。しかしそれ以上堕落することは避けた。生活と労働に自分を担保させる普通さに身を委ねたかった。

相変わらず僕も彼女も疲れている。疲れた。

 

グライダー先生

お別れ会で、生徒の前でTheピーズの「グライダー」を弾き語りしようと思いついたのは、相変わらず一人で飲んでいる時だった。私は破滅的な飲み方はしない。スーパーで買ってきたワンカップを少しずつ飲み、酔いが適度に回ってきたところで、「くにゃくにゃくにゃ、はははは◎%△だ¥」と、独り言ちていた。ただの呟きだから隣人には聞こえない。弛緩した脳が普段考えもしないことをサジェストしてくれたのか、「グライダー、グライダーやろう。」と呟いた。
 
これまでも、何度か三年生のクラスを受け持ち、卒業まで送りだしたことはあったが、パフォーマンスの類はやったことがなかった。希望に満ちたメッセージ的なことを言って、「それではみなさん元気でね」という一連の流れを、担任の仕事としてこなした。もちろん、一年自分が受け持ったクラスなのだから、それなりに情は湧くが、これから暗澹たる未来に向かっていくしかない生徒達に、思ってもないポジティブな言葉をかけるのは、不誠実だなと思っていた。
 
田舎の公立中学の卒業生は、おおむね地元で就職し所帯を持つというモデルに巻き取られていく。自立し家庭を持つことは立派である。そういう人間を育てることが我々の仕事でもある。ただ、中学を卒業する時期の彼らにようやく見えてくる、個人としての輝きが、寂れた地方都市の所帯じみた幸せに着地するのが、どうにも寂しかった。偏屈教師のエゴ極まりないが。さらに言えば、その陳腐な幸福からもこぼれてしまう生徒も勿論たくさんいて、そのことはもっと悲惨だった。規範的な幸せを獲得できないことは全く問題じゃない、規範的な幸せが全てだと思ってしまうこと、もっと言えば、全てが幸せか不幸せのどちらかに帰着すると思い込んでしまうことが問題だった。公教育の範囲では、「社会の規範を気にせずに生きていくことはできる」と伝えることは難しい。というか、そんなことは学校の役割ではない。どこかで子どもが一人で気付くしかない。悲しいかなその点我々は無力だ。
 
Theピーズの「グライダー」は、下降していく人生を、滑走しかできないグライダーになぞらえて、淡々と歌われる曲だ。開き直りではない、むしろ、下降しながらでも生きていく、というダウナーなりの意思を感じる。現に彼らは音楽に昇華したのだから。
 
10年前も10年先も もうずっとグライダー」
 
人生というのはつまらなくなる一方だというのが基本的な私の認識である。勿論教育の場でこの論を話すことはない。どこかで学生生活や仕事や人間関係で狂ったり病んだりすると、精神的な回復や社会復帰は可能だとしても、壊れる前の状態には戻れない。じゃあ若いうちに自殺してしまうのがコスパがいい、なんて考えるのは虚無でしかないから、不可逆な時間をグライダーで飛び続けるしかない。飛び続ければなにかあるかもしれない。なにもないかもしれない。
 
全体での卒業式の後、各クラスで開かれるお別れ会では、担任がピアノやギターの弾き語りをすることがあったが、取り上げる曲は基本的に「卒業ソング」として世間に広く認知されているものだった。でも、「グライダー」をやることに問題はないだろうと考えた。歌詞は後ろ向きだけど、表現は婉曲的だから、15才の子どもたちが初めて聞いただけでは、「なんかいい曲」くらいの認識で収まるだろう。大体私の演奏力でそんな感想をもってくれるかも怪しかったのだが。
 
「グライダー」を披露すると決めてから、ネットでアコースティックギターを購入し、必死に練習した。CDの収録時間は4分38秒と、決して短い曲ではないが、曲の構成はシンプルで、AメロとBメロのコード進行だけを覚えればよかった。ただ、アコースティックギターの弦というものは硬く、卒業式を間近にした真冬では、異様に冷たかった。学期末の忙しい時期にヘトヘトになって帰宅して、寝る前までのわずかな時間でもギターに触れることにした。どう頑張っても、一か月や二か月では、音楽的に完成された演奏が出来るとは思ってなかったが、やると決めた以上、中途半端な状態で生徒の前に出るわけにはいかなかった。生徒は今人生で初めての入学試験に向けて頑張っている。私が余興のような気分で出ていったら、彼らは軽蔑するだろう。「準備が肝心です。」私がテスト前の生徒にいつも言っていることだ。
 
お別れ会当日。卒業式も終わりすでに涙目の生徒もいた。ここからは、担任と生徒達の、最後の対話になる。堅物の教師と思われている私が、ケースからアコースティックギターを取り出したことに、ミーハー的に驚く生徒もいれば、私が演奏する情報をどこからか得ていたのか、さして動じてない素振りを見せている生徒もいた。でも、彼らが一様に「なにかをしてくれるんじゃないか」と期待していることは伝わってきた。15才の子どもたちというのは、我々の思っている以上に色々な事を見抜いているし、同時にすごく素直なのだ。学校生活が嫌でたまらかったであろう生徒もいる。そこでとってつけたようなクラス一同感動の大団円なんて、見たくもないだろう。とりあえず、私はみんなが自分が今から投げかけようとしてる言葉を、受け取る姿勢を見せてくれたことに、心の中で感謝した。
 
「3年1組のみなさん、まずは卒業おめでとうございます。みなさんは義務教育を立派に終えました。これは凄いことです。」
 
「ただ、ここから先、良いことばかりあるとは限らないです。でも、それはみなさんもよく分かっているんではないんでしょうか。15年も生きていればみなさんそれぞれに色々なことがありましたよね。これからも予測できないことが起きるでしょう。でも、これは高校の勉強が難しいとか、社会が厳しいこととは、また別の話です。生きていくなかで、上手くいくこともあれば、そうでないこともある。それだけのことです。」
 
「そのとき大事なのは…、と先生は言いたいところですが、上手くいかないときの解決法は人によって違うんです。だから探し続けてください。よき友はどこかにいるはずです。それが他人じゃなくてもいいんです。勉強や音楽やスポーツや絵を描くことでも。」
 
「最後に私の好きな曲を歌います。Theピーズというバンドの『グライダー』という曲です。」
 
生徒は真剣に私を見つめて、話を聞いている。正直泣きそうだった。私は彼らを見くびっていた。物分かりのよい可愛げのある生徒ばかり気にかけ、不良は田舎に閉じ込められた哀れなクソガキだと思っていたし、教室の隅で腐っている内気な子どもたちには勝手に同情していたが(私もまさしくそのタイプの学生だった)、それは彼らをバカにしていることと同義だった。中学生活の荒波にもまれて苦悩した彼らに、お別れ会の一回のパフォーマンスで教師面するのは卑怯なのかもしれない。でも私は最後の最後で逡巡してはいけない。どこかに行けるのにグライダーを降りちゃダメだ。それを歌いにきた。
 
イントロを4小節弾いて、歌に入る。
 
「ハタから見りゃそらのんびり でもとっくにギリギリなんだ」
 
「低いままいつまでも 降りる場所探したよ 探すうちに遠いよ」
 
「遠くで見てた筈だよ 懐かしいだけで泣いたよ 何もしてやれなかったよ」
 
「10年前も10年先も 同じ真っ青な空を行くよ」
 

途中何度もコードを間違えて、歌詞が飛びそうになったが、なんとか完奏した。やはり思ったとおりにはできない、世のミュージシャンは凄いんだなあ、と腑抜けた感想が浮かんだ。それと同時に、割れんばかりの拍手。「先生すごい!」「ミュージシャンじゃん!」地味な社会科教師が慣れないアコギに四苦八苦しながら歌う様が、新鮮だったんだろうか。もっと、知らない曲を歌われてポカーン、みたいな反応を予測していた。が、なにせ中学卒業の日なのだ。感傷のスイッチがどこで入ってもおかしくない。でも、なにかしら感じ取ってくれたのは、生徒たちの顔から伝わってきた。
 
それから、まだお別れ会の時間があったから、「もう先生はヘトヘトだよ。」と本心を漏らすと、元気よく「慣れないことするからだよー」と男子からヤジがとんだ。もう、生徒に教えるようなことはなかったので、ギターを床に置き、椅子を輪の形にして、雑談タイムにした。内気なグループの生徒が、他の生徒に、「こいつ、実はギター弾けるんですよ」とはやし立てられ、ギターを渡したら、見事な「禁じられた遊び」のソロギターを弾いてくれた。となりの教室では、担任のピアノ伴奏で、秋の合唱祭で優勝した曲を合唱していた。
 
お別れ会のことは、生徒にとって、思い出深い出来事になったことは、確実に言えるのだけど。生徒の大半は私がTheピーズの「グライダー」という曲を歌ったことはおぼえていないだろう。さらに言えば、この曲の言わんとしていることも、わかっている生徒はほぼいないだろう。でも、いつか、歌詞の断片でも彼らの頭のどこかにあれば、検索欄にそれを打ち込んで、もしくはクラスメイトに「あのとき先生が、いきなり歌った曲ってなに?」とメッセージを送ったりしたら、そのときまた曲に出会うかもしれない。本当は最初から、Theピーズの素晴らしい音源に触れた方が良いのかもしれない。でも、あの場所では僕が歌うしかなかったのだろう。

世界の果てのぶっ壊れるような邂逅ver.0

彼女に出会ったのは、会社の近くのコンビニに昼食用のパンを買いにいったときのことだ。

白く整った顔立ちをした彼女は、パリッとした白いブラウスに、プリーツの効いた紺のスカート、黒い革靴を合わせていた。彼女を美少女と呼ぶには、自分の美しさを重く背負いすぎているように感じた。その細い身体から、鮮明な服装と対照的な、濃い陰影を落としていた。あの白々しい蛍光灯がつけっぱなしの、コンビニの中でである。

それは世界の果てのぶっ壊れるような邂逅だった。

それから、飛躍するが、僕らはデートを重ねることになった。そこに至る手続きは退屈だから割愛する。あのコンビニの中で、僕が彼女に声をかけただけだ。

ああ、デート、デート、デート。

僕は自意識過剰で、デートという俗な響きに耐えらなかった。デートがわからなかった。いや、デートをわかりたくなかった。ただ、彼女のことは好きだった。掛け値なしに。だからデートをせざるを得なかった。

ああ、デート、デート、デート。

いつだったか、2人でデートをして、代々木公園で終電を逃したときの話だ。僕らはぐるぐると、公園の周りを歩き始めた。その間一言も交わさずに。やがてどちらかが疲れ果て、ちりぢりになるまで、歩き続けた。そんな不器用なデートしか僕らにはできなかった。

そんな日々を過ごしているうちに、彼女から家族の都合で海外に移住することを聞かされた。その頃僕らは、デートの仕方があまりに下手で、消耗しきっていた。そうした背景もあり、これが節目と、別れることに決めたのだ。

そこからが大変だった。彼女の美しさにぶっ壊された僕は、唐突な別れから日常生活が困難になるほど弱ってしまった。あの下手くそで不器用なデートは、コンビニでぶっ壊れた僕の対症療法だったのだと今更気がついた。精神科の医者に診断書をでっちあげてもらい、会社を三カ月ほど休職して、どうにか社会復帰することはできた。

今も僕はコンビニで彼女にぶっ壊されたまんまだ。あのコンビニは世界の果てで、それはぶっ壊れるような邂逅だった。

コンピュータ・ファイト

コンピュータ・ファイトというバンドで、僕はベースで、山野はギターを担当していた。ドラムはサークルの知人に頼んでやってもらった。(名前は忘れてしまった)ギターリフを繰り返し、二、三の展開をしたあと、グチャグチャにフェイドアウトしていく、というような単純な曲を10ほどつくり、なるべく大音量で演奏した。山野はボーカルも兼任していたが最後までなにを歌っているかわからなかった。

早稲田の学生だった僕らは、現代音楽研究会なるサークルで出会った。ロックミュージックに入れあげていた僕と山野だったが、その音楽サークルに集った他の部員共を心底毛嫌いしていた。彼らは、洗練された自分たちの曲を、情感たっぷりに演奏して、打上げで素晴らしいだのなんだのとか褒め合うのが慣例だった。彼らは確かに上手だった。上手にその場にある音楽や、人間に没頭し、美しいかのように見せた。それらが本当に評価されるものかはどうかはさておき、彼らの仕草はどうしようもなく、僕らの気に障った。理屈のない純粋な嫌悪。

あの現代音楽研究会を台無しにすべく、山野に誘われコンピュータ・ファイトというバンドを組んだ。僕たちは自分たちの作った曲に愛情などこれっぽっちもなかった。それは装置だった。

5秒で考えたような粗末なリフを繰り返したあとは、山野はアートリンゼイもどきの調性を無視したソロを弾き始めたかと思うと、その数秒後にはギターを放りなげて、「つまらないつまらない」みたいなことをステージの端で呻いていた。僕も山野に負けまいと、ベースを床に叩きつけようとしたが、僕の腕力では「ロンドン・コーリング」のジャケット写真のようにはならず、ベースごとステージに崩れおち、そのままのたうちまわってた。

当然のごとく、僕らは現代音楽研究会の連中の嘲笑される存在となった。

うるさいだけだとか、もうやりつくされた破壊衝動気取りだとかそういうのだ。中には面白がってくれた人もいたが、これに関しては前者の嘲笑の方が的を得ていた。

僕らも自分たちの空転に気づいてたのだ。

ものにできていないのだ。自分たちが目指していた先人のロックバンドの訴求性には遠く及ばない。そのことを、自覚した頭のままで、あがくことしかできていなかった。

「コンピュータ ファイト」は山野がつけた名前だ。曲名なんかでも、山野は抽象的でも具体的でもない、一般名詞を組み合わせるのが好きだった。

ある日山野は、最新のMac Bookを買ってきて、それに音楽制作ソフトを入れた。ハナから彼は、打ち込みの音楽なんかやる気がなかった。

バンド名の必然なのか、僕らはギターとベースを捨て、コンピュータを演奏に使うようになった。僕らは先人たちの音楽と同じ土俵では勝てないと早々に悟ったからだ。僕も山野とおなじMac Bookをなけなしのお金で買い、いわば彼の猿真似でPCから音を出すことを考え始めた。

山野はMacから、ソフトが処理できる限界の音を出そうとしていた。

それでは飽き足らず、ソフトの関数を無理やり書きかえ、CPUが処理できる限界の音数を出力しようとした。僕らはコンピュータを嫌ったが、だからといって愚直にアナログに回帰するような、開き直りの根性論こそ最も僕らの美学に反した。僕らはコンピュータを叩きのめす必要があった。そのために、僕らはコンピュータ、プログラミングについて研究し、最終的にCPUを物理的にぶっ壊すような破滅的なコードを書いた。だから、30分の持ち時間をもらっても、僕らの演奏はコンピュータがダウンするまでの数分間だけだった。

それから、サークルのDJだとか、エレクトロ・ミュージックをやってる連中がなぜか僕らの演奏を気に入りだし、「早大ノイバウテン」だとか適当なキャッチフレーズをつけられた。(彼らはスノッブらしい安易な引用を好んだ。)そしてYOUTUBEにあげた、僕と山野が二人でライブでPCをクラッシュさせた動画が音楽マニアの間で小さな話題になり、ライブハウスのイベントなんかに呼ばれるようになった。

僕らは呼ばれれば色んなところで演奏を行なった。前衛音楽、ハードコアパンク、クラブイベント。僕らが舞台に出て演奏すると、観客は決まって熱狂していた。それは実体のないから騒ぎだった。僕らを見にきてたのは、自意識過剰な音楽オタクたちで、PCをその場でクラッシュさせる僕らを媒介にして、ただ日々の苛立ちを吐き出してただけなのだ。僕らはなにも目指していなかった。そのうち、そういう状況に僕らは飽き始め、それと同時期に聴衆からも忘れさられ、イベントに呼ばれなくなった。それは悲観するようなことではなく、自分たちが音楽未満の馬鹿騒ぎを見世物にしてたことを考えればむしろ、長続きした方だった。そうやって、僕らはコンピュータ・ファイトを解散した。解散について、なにか言及した者は一人もいなかった。

ノイズロックバンドから、PCの破壊活動という変遷を経たコンピュータ・ファイトの活動が終わったあと、僕と山野は表現というものにすっかり興味をなくした。そのまま一般企業に就職した。彼が今なにしてるかはわからないし、今更知りたいも思わない。僕の人生の中で唯一のあっけない始まりと終わりを持った出来事の話だ。

みんな「普通の恋」に落ちていく

 

youtu.be

「11歳でドストエフスキー、15歳でエヴァンゲリオン」というトリッキーな歌詞を聴きたさに再生したら、恋愛を当事者の視点でなく、「神様」の視点から見守る、という名曲で、去年から中毒的にリピートしている。

 

「11歳でドストエフスキー、15歳でエヴァンゲリオン」に出会った少年と、「不倫なんて当たり前、とても人に言えないような悪いことならなんでもやった」少女は、世界の中心でも果てでもなく、どこにでもあるコンビニで偶然出会って恋に落ちる。

 

そこには当然、恋の喜びもあるんだけど、どこにでもだれにでもある、ありふれた恋に落ちてしまう、という諦めや切なさも混じっている。それは神様だけが笑ってみているのだ。

 

一般的なラブソングのように自分対相手の関係性でなく、恋愛そのものをテーマにしている描き方に驚いた。それもこの曲が歌ってるのは、普遍的な愛の素晴らしさじゃなくて、普通の恋のたあいもなさだ。私は音楽を聞いて、ラブソングとして強く共感したのはこれが初めてだった。

 

自分でどんな強固な世界を築こうとも、普通の恋に落ち、ありふれた恋人同士になってしまう。それは少し寂しげで、でもそういう普通の恋で世界はきらめいているんだろう。

「ガセネタの荒野」について

ガセネタの音楽に出会ったのは、YouTubeにアップロードされた「社会復帰」の音源で、浜野純の凄まじいギターにグワーッと引き込まれた。

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「ガセネタの荒野」は、ガセネタのベーシスト大里俊晴による、バンドの自伝的小説で、ギター浜野純とボーカル山崎春美の強烈な自我が渦の中心となって、ガセネタが存在したことを伝えている。

 

この本について書くのは難しい。
私は、自分の思考や、それを言語化することについて本書から多大な影響を受けており、自分と切り離して考えることができないから。大げさに言えば、私に言葉を与えてくれた本である。

だからこそ、「ガセネタの荒野」について文章を書くのは、私の命題であるような気がするのだ。

 

彼らは、1970年代末、つまりパンクと同時期に誕生しておきながら、徹底的にそれらのバンドをこき下ろした。3コードの単純な繰り返しは安全ずくの反抗だと。何も彼らがこき下ろしたのはパンクだけでなく、9割型の音楽を「ゴミ」として扱った。いわばスノッブであったのだが、そのスノッブという立場をとるのも我慢ならなかった。

 

だから、メタからメタをかなぐり捨て、ギター・ベース・ドラム・ボーカルという編成で、リフと叫びによるダイナミクス、つまり原始的な「ロック」を、自分たちの手で加速し、彼方まで行こうとしたのである。
そしてそれは先人の演奏をなぞったものでも、頭でっかちな代物でもなく、凄まじい訴求性を持った音楽になっている。

 

彼らは、体制でも、大衆でも、既存の音楽でもなく、自分たちがただ突っ立って生きてしまうこと、存在してしまうことにどうしようもなく苛立っていた。それに対する安易な解決方法は当然「死」なのだが、そんな虚無に抗い、自分が肉体を持っていることを忘れてしまうことを求めて、「社会復帰」を含む4つの持ち曲演奏し続けた。

 

「楽しいことなんて何もなかった」と本書の中で大里は語っている。大体の書物は何らかの帰結に向かっていく。ロックバンドの自伝なら、成功談、聴衆との関係性、音楽史に残したもの、といった具合だろうか。しかし彼らは、演奏によって、醒めたまま彼方の地平にいくことしか目指さなかった。この本がなければ音源すら世に出なかったのである。
(本書はガセネタ解散後の1992年に突如大里によって出版され、それに対抗する形で山崎がアルバム「Sooner Or Later」を発表した)
資本主義や一般社会はおろか、音楽シーンの関係性や文脈からもちぎれたところにいたのだ。ただただ存在の悪夢にうなされ、それに抗い戦い続けたバンド。

 

「ガセネタの荒野」には人の在り方としての一つの極地が書かれていると思う。
芸術が好きな人、生きていたい人、生きようとしてる人はぜひ読んでみてほしい。

 

 

ガセネタの荒野

ガセネタの荒野