グライダー先生

お別れ会で、生徒の前でTheピーズの「グライダー」を弾き語りしようと思いついたのは、相変わらず一人で飲んでいる時だった。私は破滅的な飲み方はしない。スーパーで買ってきたワンカップを少しずつ飲み、酔いが適度に回ってきたところで、「くにゃくにゃくにゃ、はははは◎%△だ¥」と、独り言ちていた。ただの呟きだから隣人には聞こえない。弛緩した脳が普段考えもしないことをサジェストしてくれたのか、「グライダー、グライダーやろう。」と呟いた。
 
これまでも、何度か三年生のクラスを受け持ち、卒業まで送りだしたことはあったが、パフォーマンスの類はやったことがなかった。希望に満ちたメッセージ的なことを言って、「それではみなさん元気でね」という一連の流れを、担任の仕事としてこなした。もちろん、一年自分が受け持ったクラスなのだから、それなりに情は湧くが、これから暗澹たる未来に向かっていくしかない生徒達に、思ってもないポジティブな言葉をかけるのは、不誠実だなと思っていた。
 
田舎の公立中学の卒業生は、おおむね地元で就職し所帯を持つというモデルに巻き取られていく。自立し家庭を持つことは立派である。そういう人間を育てることが我々の仕事でもある。ただ、中学を卒業する時期の彼らにようやく見えてくる、個人としての輝きが、寂れた地方都市の所帯じみた幸せに着地するのが、どうにも寂しかった。偏屈教師のエゴ極まりないが。さらに言えば、その陳腐な幸福からもこぼれてしまう生徒も勿論たくさんいて、そのことはもっと悲惨だった。規範的な幸せを獲得できないことは全く問題じゃない、規範的な幸せが全てだと思ってしまうこと、もっと言えば、全てが幸せか不幸せのどちらかに帰着すると思い込んでしまうことが問題だった。公教育の範囲では、「社会の規範を気にせずに生きていくことはできる」と伝えることは難しい。というか、そんなことは学校の役割ではない。どこかで子どもが一人で気付くしかない。悲しいかなその点我々は無力だ。
 
Theピーズの「グライダー」は、下降していく人生を、滑走しかできないグライダーになぞらえて、淡々と歌われる曲だ。開き直りではない、むしろ、下降しながらでも生きていく、というダウナーなりの意思を感じる。現に彼らは音楽に昇華したのだから。
 
10年前も10年先も もうずっとグライダー」
 
人生というのはつまらなくなる一方だというのが基本的な私の認識である。勿論教育の場でこの論を話すことはない。どこかで学生生活や仕事や人間関係で狂ったり病んだりすると、精神的な回復や社会復帰は可能だとしても、壊れる前の状態には戻れない。じゃあ若いうちに自殺してしまうのがコスパがいい、なんて考えるのは虚無でしかないから、不可逆な時間をグライダーで飛び続けるしかない。飛び続ければなにかあるかもしれない。なにもないかもしれない。
 
全体での卒業式の後、各クラスで開かれるお別れ会では、担任がピアノやギターの弾き語りをすることがあったが、取り上げる曲は基本的に「卒業ソング」として世間に広く認知されているものだった。でも、「グライダー」をやることに問題はないだろうと考えた。歌詞は後ろ向きだけど、表現は婉曲的だから、15才の子どもたちが初めて聞いただけでは、「なんかいい曲」くらいの認識で収まるだろう。大体私の演奏力でそんな感想をもってくれるかも怪しかったのだが。
 
「グライダー」を披露すると決めてから、ネットでアコースティックギターを購入し、必死に練習した。CDの収録時間は4分38秒と、決して短い曲ではないが、曲の構成はシンプルで、AメロとBメロのコード進行だけを覚えればよかった。ただ、アコースティックギターの弦というものは硬く、卒業式を間近にした真冬では、異様に冷たかった。学期末の忙しい時期にヘトヘトになって帰宅して、寝る前までのわずかな時間でもギターに触れることにした。どう頑張っても、一か月や二か月では、音楽的に完成された演奏が出来るとは思ってなかったが、やると決めた以上、中途半端な状態で生徒の前に出るわけにはいかなかった。生徒は今人生で初めての入学試験に向けて頑張っている。私が余興のような気分で出ていったら、彼らは軽蔑するだろう。「準備が肝心です。」私がテスト前の生徒にいつも言っていることだ。
 
お別れ会当日。卒業式も終わりすでに涙目の生徒もいた。ここからは、担任と生徒達の、最後の対話になる。堅物の教師と思われている私が、ケースからアコースティックギターを取り出したことに、ミーハー的に驚く生徒もいれば、私が演奏する情報をどこからか得ていたのか、さして動じてない素振りを見せている生徒もいた。でも、彼らが一様に「なにかをしてくれるんじゃないか」と期待していることは伝わってきた。15才の子どもたちというのは、我々の思っている以上に色々な事を見抜いているし、同時にすごく素直なのだ。学校生活が嫌でたまらかったであろう生徒もいる。そこでとってつけたようなクラス一同感動の大団円なんて、見たくもないだろう。とりあえず、私はみんなが自分が今から投げかけようとしてる言葉を、受け取る姿勢を見せてくれたことに、心の中で感謝した。
 
「3年1組のみなさん、まずは卒業おめでとうございます。みなさんは義務教育を立派に終えました。これは凄いことです。」
 
「ただ、ここから先、良いことばかりあるとは限らないです。でも、それはみなさんもよく分かっているんではないんでしょうか。15年も生きていればみなさんそれぞれに色々なことがありましたよね。これからも予測できないことが起きるでしょう。でも、これは高校の勉強が難しいとか、社会が厳しいこととは、また別の話です。生きていくなかで、上手くいくこともあれば、そうでないこともある。それだけのことです。」
 
「そのとき大事なのは…、と先生は言いたいところですが、上手くいかないときの解決法は人によって違うんです。だから探し続けてください。よき友はどこかにいるはずです。それが他人じゃなくてもいいんです。勉強や音楽やスポーツや絵を描くことでも。」
 
「最後に私の好きな曲を歌います。Theピーズというバンドの『グライダー』という曲です。」
 
生徒は真剣に私を見つめて、話を聞いている。正直泣きそうだった。私は彼らを見くびっていた。物分かりのよい可愛げのある生徒ばかり気にかけ、不良は田舎に閉じ込められた哀れなクソガキだと思っていたし、教室の隅で腐っている内気な子どもたちには勝手に同情していたが(私もまさしくそのタイプの学生だった)、それは彼らをバカにしていることと同義だった。中学生活の荒波にもまれて苦悩した彼らに、お別れ会の一回のパフォーマンスで教師面するのは卑怯なのかもしれない。でも私は最後の最後で逡巡してはいけない。どこかに行けるのにグライダーを降りちゃダメだ。それを歌いにきた。
 
イントロを4小節弾いて、歌に入る。
 
「ハタから見りゃそらのんびり でもとっくにギリギリなんだ」
 
「低いままいつまでも 降りる場所探したよ 探すうちに遠いよ」
 
「遠くで見てた筈だよ 懐かしいだけで泣いたよ 何もしてやれなかったよ」
 
「10年前も10年先も 同じ真っ青な空を行くよ」
 

途中何度もコードを間違えて、歌詞が飛びそうになったが、なんとか完奏した。やはり思ったとおりにはできない、世のミュージシャンは凄いんだなあ、と腑抜けた感想が浮かんだ。それと同時に、割れんばかりの拍手。「先生すごい!」「ミュージシャンじゃん!」地味な社会科教師が慣れないアコギに四苦八苦しながら歌う様が、新鮮だったんだろうか。もっと、知らない曲を歌われてポカーン、みたいな反応を予測していた。が、なにせ中学卒業の日なのだ。感傷のスイッチがどこで入ってもおかしくない。でも、なにかしら感じ取ってくれたのは、生徒たちの顔から伝わってきた。
 
それから、まだお別れ会の時間があったから、「もう先生はヘトヘトだよ。」と本心を漏らすと、元気よく「慣れないことするからだよー」と男子からヤジがとんだ。もう、生徒に教えるようなことはなかったので、ギターを床に置き、椅子を輪の形にして、雑談タイムにした。内気なグループの生徒が、他の生徒に、「こいつ、実はギター弾けるんですよ」とはやし立てられ、ギターを渡したら、見事な「禁じられた遊び」のソロギターを弾いてくれた。となりの教室では、担任のピアノ伴奏で、秋の合唱祭で優勝した曲を合唱していた。
 
お別れ会のことは、生徒にとって、思い出深い出来事になったことは、確実に言えるのだけど。生徒の大半は私がTheピーズの「グライダー」という曲を歌ったことはおぼえていないだろう。さらに言えば、この曲の言わんとしていることも、わかっている生徒はほぼいないだろう。でも、いつか、歌詞の断片でも彼らの頭のどこかにあれば、検索欄にそれを打ち込んで、もしくはクラスメイトに「あのとき先生が、いきなり歌った曲ってなに?」とメッセージを送ったりしたら、そのときまた曲に出会うかもしれない。本当は最初から、Theピーズの素晴らしい音源に触れた方が良いのかもしれない。でも、あの場所では僕が歌うしかなかったのだろう。